第68回 院長の医学ちょっと良い話コラム 令和6年11月13日
良寛和尚
江戸時代を代表する禅僧
良寛様は、江戸時代後期に越後に生まれました。先日学会で新潟へ行った時、宿泊したホテルに「良寛のことば」が掲げられており、新潟ご出身と初めて知りました。大変良い言葉でしたので、この写真を撮りました。
いくつか、私の反省を言います。あまりしゃべり過ぎないことです。適度が人に好かれます。多すぎると嫌がられ、友人が減ります。知らない事を知ったかぶりするのは良くありません。謙虚に、うそをつかず、正直に生きるべきです。挨拶は心を込めてすべきです。その一日がとてもすがすがしくなります。言ったことに責任を持ちましょう。特に、医療人の言葉は重たいと知るべきです。
第67回 院長の医学ちょっと良い話コラム 令和6年11月13日
「人が生きている間、もっとも大切なのは出処進退である。そのうち進むと出づるは人の助けが要るが、処ると退くは、人の力を借りずともよく、自分でできるもの」
河井継之助
学生時代、司馬遼太郎の「峠」に感銘し、何回も何回も読み直しました。主人公「河井 継之助」は全国的ではありませんが、ご存知の方もおられると思います。一度、お読みになられてはいかがでしょうか。
継之助は若い時に新潟の「峠」を超えて、いろいろな師匠の元へ留学します。幕府が倒れ、薩長の新政府軍が越後に攻めてきました。継之助がすごいのは、圧倒的に強力な兵器を準備しながらも、それを使わなくても長岡の人々が救われるように中立和平の道を目指した事です。しかし、時代はそれを許さず、壮絶な北越戦争に突入していきます。太平洋戦争を最後まで反対した軍司 山本五十六も同じ長岡出身で、継之助の思想を引き継いでいたかもしれません。
第66回 院長の医学ちょっと良い話コラム 令和6年8月27日
「我々が作る義足は、身体だけ支えるのではありません。心を支える足が作りたい。」
ガザ地区で、がれきから義足を作るサラハ・サルミさん(36)とムハンマドさん(25)兄弟
ガザ地区は戦火が激しくなるばかりです。爆発に巻き込まれ、1000人以上の子供が手足の切断を余儀なくされています。子供たちには何の責任もないのに、悲しいくらい悔しいです。
ガザに住むサラハ兄弟。兄は作業療法士、弟は技師として働いていました。目の前には数えきれない負傷者が苦しんでいます。そして、2人は周囲のがれきの山を見て「これで義足ができないだろうか?」と思ったそうです。手ごろな形の木や下水管の一部を使い、プラスチック部を火であぶって採型し足の断端に合う様にしました。
サラハ兄弟の義足は、確かに使い心地は良くないでしょう。でも、けがをした同胞の人々へのために、という気持ちは十分にこもっています。「けがをしていない自分でも苦しいのに、手足を失った人たちの絶望はもっと深いはずだ。心を支える足が作りたい。」サラハ兄弟が作った義足が、負傷者の心も支えられる様に祈っています。そして、患者さんがこの義足をはいて、パラリンピックの100m走を走れば、世界の人々の心も動かせると思います。一刻も早く無意味な戦闘をやめるべきです。
第65回 院長の医学ちょっと良い話コラム 令和6年8月20日
「ゴルフは、生きがいです。」